tranlogue tranlogue tranlogue tranlogue blog tranlogue

Copyright 1996-2012 Tranlogue Associates All rights reserved.(C)無断転載禁止                                       en ENG jp JPN

design workshop media

エコ生活を楽しむ人びと
月刊NewHOUSE(雑誌記事)
2001年1月〜2003年3月号に連載
(全27回)
企画、取材、撮影、編集、執筆、デザイン:トランローグ・アソシエイツ

●2001年
1月号「コンポストトイレ」
2月号「屋上緑化」
3月号「コンサバトリー」
4月号「雨水利用」
5月号「太陽光発電」
6月号「自然建材」
7月号「ビオトープ」
8月号「古民家再生」
9月号「セルフビルド No.1」
10月号「パッシブソーラー」
11月号「風力発電」
12月号「温泉利用」
●2002年
1月号「イタリア・マテーラ編」
2月号「イタリア・エコヴィレッジ編」
3月号「イタリア・トゥルッリ編」
4月号「パーマカルチャー基礎講座」
5月号「パーマカルチャー実践編」
6月号「水車利用」
7月号「セルフビルド No.2」
8月号「編成材」
9月号「実証エコハウス前編」
10月号「実証エコハウス
後編/雨水・中水利用」
11月号「サーマルハウス」
12月号「屋上菜園」
●2003年
1月号「人と自然に開かれた家」
2月号「Part 1 小水力発電」
「Part 2 ツリーハウス」
3月号「Part 1 オール電化
&自然エネルギーの家」
「Part 2 OMソーラーの家」
「Part 3エアサイクルの家」
「Part 4 茅葺き屋根の家

 

エコ生活を楽しむ人びと

「エコ」が一般化して約10年、私たちの暮らしはどこまで「エコ」になったのでしょうか。

1990年前後に「エコロジー」という耳慣れない言葉が、世紀末思想のように半ば攻撃的に紹介され、一般化していきました。ジョン・シーモア+ハーバート・ジラードの「地球にやさしい生活術」(日本語版・TBSブリタニカ)やレスター・R・ブラウンの「地球環境白書」(日本語版・ダイヤモンド社)が出版されたのもその頃です。
 当時バブルに浮かれていた日本でも、バブルに対する不信感や危機感、バブル崩壊の予感から私たちは「エコ」をごく自然に受け留めることができたのではないでしょうか。
 「エコ」はもはやトレンディーなキーワードから日常語へと変化したといってもいいでしょう。
 直接私たちの健康に関わる食の分野では有機野菜や遺伝子組み替え作物の拒否など「エコ」は日常化しつつあるようです。また、自動車や電気製品における「エコ」は現在主に「省エネ」と同義語のようです。
 それでは、住環境において「エコ」は生活に根付いたといっていいのでしょうか。大多数の方は現在でも「エコは不便で高くつく」と思っていることでしょう。
 そんなことはありません。総工費やランニングコストをきちんと抑えて楽しく健康に「エコ」を実践されている方もいらっしゃいます。
 本シリーズでは「エコ生活を楽しむ人びと」と題して、周辺の環境や何よりも
家族の健康を考えて「エコ生活」に夢を描き、現実の暮らしを満喫されていらっしゃる方々をご紹介していきます。
 取材を行ううちに気が付いたことは「エコ生活を楽しむ人」はエコ生活を楽しみながら家づくりを進めているということです。

エコ生活を楽しむ人びと
2002年1月号「イタリア・マテーラ編」


エコ生活を楽しむ人びと

エコ生活を楽しむ人びと
2002年1月号「イタリア・マテーラ編」

古民家を保全し再生利用しようという考え方は、日本のみならず世界的に注目されている。地元で採掘した石材で建てられた天然素材の家を、手入れして長年住み続けることは、環境に対する負荷を最小限に抑えることになる。これこそ省資源・省エネという「エコロジーの基本」である。歴史ある建物の保全を、世界に先駆けて行ってきた国イタリア。保全に対して世界一の努力をしているイタリアは、「エコの基本」を最も実践している国であるともいえる。そういったエコの先進国イタリアで、人びとはどのようにしてエコ生活を送っているのだろうか。「エコ生活を楽しむ人びと」は今月から3回に渡って、特別編としてイタリアの「エコ生活」を探っていきたいと思う。

sassi in matera
長靴にたとえられることの多いイタリア半島。その土踏まずにあたる部分にあるバジリカータ州は、人口約61万人、丘陵地と岩壁で占められたイタリア南部の州だ。バジリカータ州を代表する街の一つにマテーラがある。歴史ある街並み、壮厳にそびえ立つ大聖堂など見所の多い街だが、この街を世界的に有名にしているのは、サッシの存在だろう。サッシとは、イタリア語のサッソ(sasso=岩石)の複数形で洞窟群を意味し、グラヴィーナ渓谷の斜面を利用してつくられた洞窟住居群を指す。サッシの歴史は大変古く、新石器時代にまでさかのぼる。浸食によってできた自然の洞穴に人びとが住み始めたのがサッシの始まりといわれている。
その後、洞窟の入口部分に石を積み上げ、人工的に居住空間を増設し、前側が建造部分、奥側が洞窟部分という住居がつくられるようになる。そして次第に建造部分の占める割合が多くなり、遂には積み石のみによってつくられた住居が建てられるようになった。この洞窟住居、半洞窟住居、建造住居が渾然一体となって成り立っている街がサッシである。この世界的にも稀な洞窟住居群は、かつてイタリアの貧困の象徴のようにみなされていた。周辺の地区が発展を遂げる一方で、サッシ地区は、特異な街の形状により、インフラの不整備、人口の過密、衛生面の不備など劣悪な住環境のままだった。当の住人達にとってはそれほど深刻な問題ではなかったのかもしれないが、視察にやってきた政府の要人はこの住環境に驚き、サッシ地区に対する条例が制定されることになった。その内容とは、サッシで新たに住宅をかまえることを禁止し、マテーラ新市街への移住を奨励するものだった。最盛期には1万2千人を越えたサッシ地区の人口も、この条例によって徐々に減少し、1960年代になると、引っ越す費用さえない貧しい人々を残し、サッシは完全な廃墟となった。住環境の悪化により見放されたサッシだが、建築家や一部の文化人など、洞窟住居の持つ強烈な個性に惹かれ、移住してくる者もいた。サッシ立ち退き政策を進めていたマテーラ市も、建築的に貴重なこの集落を荒廃させてしまうには、あまりにも惜しいことに気付き、一転サッシに住民を呼び戻し、再び街を蘇らせる政策に乗り換えたのである。一時はイタリアの暗部として見られてきたサッシも、1993年には世界遺産に認定され、峡谷という厳しい立地環境に見事に適応したこの街は、一般的にも評価されるようになった。
それでは現在、再生を進めているサッシとそれをとりまく環境はどのように変化したのだろうか。洞窟住居に魅せられ移住してきた2件のお宅を訪ね、話を伺ってきた。

2002年 1月号「イタリア・マテーラ編」

2002年 1月号「イタリア・マテーラ編」

マテーラ●サッシ/レベスコ邸
タイムレスな街並みにスタイリッシュな暮らし

サッシ…、自然の断崖を利用してつくられた街並みは時を超えた風格を漂わせている。ひとたび、住居の内部に足を踏み入れるとそこには目の覚めるようなモダンな空間があった。

「自然の素材にこだわり、洞窟住居にいきついた」

イタリア南部の都市マテーラ。厳しい陽射しが照りつけるこの街のはずれに、まるでその光を吸い込むように乾いた空間が出現する。洞窟都市サッシ。開放的な蒼い空と、密集した白い建物の対比が印象的な街だ。
現在多くの建物が廃墟となっているが、その中に外観をきれいに改装したサッシを見かけることがある。建物をしげしげと眺めていると、ふと背中越しに声をかけられた。
「よぉ、何をやっているんだい。新しい建物?ああ、そういうことなら私の家を見に来ればいいよ」
そう声をかけてくれたのは、アントニオ・レベスコさん、34才。元プロサッカー選手で、太ももの太さがそれを窺わせる。現在はサッシを修復して、ここに住んでいるという。
アントニオさんに案内されて室内に入ると、そこはひんやりとした空気につつまれていた。その割に洞窟特有の湿気は感じられない。
「以前のサッシは、住み心地という点で湿度の高さが問題でね。修復するにあたっては、いかに湿度を抑えるかを考えたんだ。床の下に通風のための部材を敷いたことで、湿気を逃がすことに成功したよ」
その他にも風通しを良くするために窓を新設したり、壁面に通風口を設けるなど、湿度を抑える工夫は随所に見られる。
修復されたサッシで快適に暮らしている彼だが、いい物件を見つけるまでは、かなり苦労したという。
「最近では、サッシの魅力に気付いた人びとが、条件のよい物件を探そうと躍起になっている。私もこの家を探すのに3年かかった。自分が望んでいる条件のサッシを見つけるのは、大変根気のいる作業なんだ」
そこまで苦労して、彼は何故この洞窟住居に住もうと思ったのか。 
「もともと木や石といった天然の素材が好きだったので、人工的に造られた材料の家には住みたくなかったんだ。サッシの天然素材を生かした住居は、私の好みにぴったりだった」
洞窟住居に魅せられ住み始めたものの、実際に生活していく上で何かと問題点も多いらしい。
「一番の問題は住人が少ない点だ。治安の面で心配だし、何より周りに人がいないというのは寂しいね」
しかし、昨今のサッシ人気からすると、アントニオ家の周囲が、隣人達で賑やかになるのもそう遠い将来ではなさそうだ。
思いがけない出会いから取材することができたサッシには、外観からは想像もつかない洗練された居住空間が待ちかまえていた。洞窟の持つ柔らかなカーブ、岩石の素材感を生かした表情豊かな壁面、イタリアのモダンな家具…それらすべてが融合して、非常に魅力的な現代のサッシ住居ができあがっていた。

2002年 1月号「イタリア・マテーラ編」

2002年 1月号「イタリア・マテーラ編」

マテーラ●サッシ/マルケッティ&マランニョ邸
洞穴から高級住宅へ居住性の追求は続く

採光、調湿、断熱…。より良い居住空間にこだわりサッシは、ただの洞穴から質の高い空間へと変貌を遂げた。

「ここで暮らしていくのに必要なもの、それはサッシに対する情熱よ」

サッシ地区に以前の活気が戻りつつある。洞窟住居の魅力に取り憑かれた人びとが、修復したサッシに、続々と移住してきているからである。
 もともとマテーラ新市街に住んでいたアンジェラ・マルケッティさん、カルメーラ・マランニョさんの姉妹も、幼い頃からサッシ地区に住むのが夢だったという。
 「先史時代から積み重ねられてきた歴史ある佇まい、洞窟の醸し出す雰囲気が好きで、いつかはサッシに住みたいと思っていました」
 1990年に念願のサッシを購入。二層構造の建物を利用して、上階に妹のカルメーラさん一家、下階に姉のアンジェラさん一家が暮らす。
 「私たちがこの家を買った当時は、地価も安く手頃な物件が沢山ありました。しかし1993年にサッシが世界遺産に選ばれてからブームが起こり、地価も急激に上昇したんです。今ではとても私たちが買えるような値段ではなくなってしまいました」
 現在、サッシ地区の地価は、他の地区と比べてかなり高い。従って最近サッシ地区に移り住んでくるのは富豪層が多い。皮肉なことに、かつて貧民窟の汚名を着せられたサッシが、今後は高級住宅地の代名詞となってくるだろう。
 いまや大人気のサッシだが、表面的なサッシの魅力だけを見ていては、ここでは暮らしていけないとカルメーラさんは語る。
 「サッシには依然として多くのマイナス面が残っています。坂が多いので疲れるし、路地が多く車が入れない場所も多い。修復するにあたっては、時間と費用がかかります。これらの短所を受け入れたうえで、それでもサッシが好きだという情熱がないと、ここではやっていけないわ」
 サッシの不満を述べながらも、彼女たちの顔は、どこか誇らしげだった。欠点を受け入れ楽しく暮らす。そんな彼女たちはまさしく「サッシ生活を楽しむ人びと」だった。(エコ生活を楽しむ人びと月刊住宅雑誌NewHOUSE 2002年1月号「イタリア・マテーラ編」)

エコ生活を楽しむ人びと
2002年2月号「イタリア・エコヴィレッジ編」

エコ生活を楽しむ人びと

エコ生活を楽しむ人びと

エコ生活を楽しむ人びと

エコ生活を楽しむ人びと

エコ生活を楽しむ人びと

(エコ生活を楽しむ人びと月刊住宅雑誌NewHOUSE 2002年2月号「イタリア・エコヴィレッジ編」)

エコ生活を楽しむ人びと
2002年3月号「イタリア・トゥルッリ編」

エコ生活を楽しむ人びと

エコ生活を楽しむ人びと
2002年3月号「イタリア・トゥルッリ編」

古民家を保全し再生利用しようという考え方は、日本のみならず世界的に注目されている。
地元で採掘した石材で建てられた天然素材の家を、手入れして長年住み続けることは、環境に対する負荷を最小限に抑えることになる。これこそ省資源・省エネという「エコロジーの基本」である。
歴史ある建物の保全を、世界に先駆けて行ってきた国イタリア。保全に対して世界一の努力をしているイタリアは、「エコの基本」を最も実践している国であるともいえる。そういったエコの先進国イタリアで、人びとはどのようにしてエコ生活を送っているのだろうか。「エコ生活を楽しむ人びと」は今月から3回に渡って、特別編としてイタリアの「エコ生活」を探っていきたいと思う。

「保全」というスタイル

 「文化と自然環境の保全」をテーマに3回に渡ってお届けする「エコ生活を楽しむ人びと/イタリア特集」。 
 第1回は洞窟住居でスタイリッシュに暮らすマテーラ、第2回はエコビレッジのヨーロッパ本部として築500年以上の集落を修復して共同生活を行なう北イタリアのトーリ・スペリオーレを紹介した。そして最終回の今回は、イタリア半島の長靴の踵に当たるプーリア州の気候風土と見事に調和する建築、トゥルッリに手を入れて住み続ける人びとの暮らしぶりを紹介する。
 3回に渡る特集で見えてきたもの、それは保全という生き方が今も昔も人びとの気持ちを勇気づけ、また身体を健康に保っているという事実だ。

 日本よりも10~20年早く高度成長の臨界点に到達したイタリア。「保全は革命である」を合言葉に、ヨーロッパで最も革新的な都市の一つ、ボローニャから始まった都市の保全再生運動がイタリア経済を蘇らせ、現イタリアの元気のもとを築き上げたといわれている。(参考文献◎陣内秀信「イタリア 小さなまちの底力」講談社、2000年)。
 また、米国マサチューセッツ工科大学の研究グループは、戦後イタリアを支えてきた工業社会の成長がピークを過ぎ、それに代わる21世紀の産業システムは、革新的で自立した中小、零細企業が生み出すシステムにあると報告している。(参考文献◎巽和夫・未来住宅研究会編「住宅の近未来像」学芸出版社、1996年)
 このようなシステムを支えるデータベースとして活用されているものは古くはギリシャ、ローマ時代からの、そして新しくても15世紀ルネサンス時代から受け継がれている知恵と技術なのであろう。これら有形無形の資産こそが、衣食住すべての基本的生活分野で世界をリードし、斬新で本質的なアイデアを提供し続けるイタリアンパワーの源泉なのである。過去を顧みず新しさばかりを追い続ける文化とは異なり、彼らにとって伝統とはアイデンティティーである。彼らは自分自身と一体となった分厚い殻を打ち破ることによって、はじめて真にクリエイティブな生活を実現しているのである。
 日本にいると、「南イタリアの人びとは働かない」という偏見、あるいは誤解をよく耳にするが、私たちが知る限りでは、彼らは実によく働く。終身雇用制度の崩壊間もない日本人には到底信じられないほどの勤勉振りを目の当たりにすることもよくある。二つ三つの職業を掛け持ちしながら、朝昼晩と忙しなく働く人がいるかと思えば、「俺たちが土曜日に働いていることは誰にも言わないでくれよ」と口止めしてまで働いている人びとさえいる始末だ。
 自らの伝統と自然環境を保全して、風土と調和する暮らしを楽しむ南イタリアの人びとは、自信に満ち溢れた口調で、豊かさの秘訣とは何かを語りかけてくれた。

エコ生活を楽しむ人びと
チェリエ・メッサピカ地区  スペッキア遺跡
はじめに石ころありき

 南イタリア、プーリア州。ぬけるような青い空の下に広がる一面のオリーブ畑、さらにその下には石だらけの乾いた大地が現れる。この荒地に、よくもこれだけの緑を植えたものだと感心すると同時に、当時の開拓の苦労が偲ばれる。しかしこの開拓にこそ、トゥルッリ誕生の秘密が隠されている。
 紀元前1世紀頃、この地域に住み着いた人びとは、土地を開拓しようとして、まず辺り一面に散らばっている邪魔な石を、脇にどけることから始めた。あまりの石の多さに、かなり辟易としたことだろう。次に地面を耕し始めたのだが、地中にも大量の石が埋まっており、その石も同じく脇に積み重ねていくうちに、次第に大きな石壁になってしまった。開拓の障害としてやむなくどけていた石だったが、積み上げると壁の機能を持ったことにより、領土を守る防護壁として利用されるようになった。さらに出土される大量の石を防護壁の一部に積み重ねていくことで、今度は石積みの小山が形成された。この山はスペッキアと呼ばれ、現在でもプーリア州の各地で、その遺跡を見ることができる。
 このスペッキアだが、100年前までは、トゥルッリが崩れたものだと思われていた。しかし1928年、C・テオフィラート氏をはじめとした考古学者の調査により、トゥルッリとは別の貴重な遺跡だということが判明した。スペッキアがどのような用途で使われていたかには様々な説があるが、見張り台として使われていたというのが一般的だ。実際にスペッキアの遺跡に登ってみると、空と大地の360度パノラマが展開される。なるほど、地平線の果てまで見通せる眺めは、見張り台としては十分だ。当時の人びとが彼方で動く敵や獲物を、この小山から窺っている様子が目に浮かぶ。
 石が落ちていたから、それを積み上げて壁や見張り台をつくってしまった。その場にあるものを利用して、生活に必要なものをつくり上げたスペッキアの成り立ちこそ、地元産石材の家トゥルッリの起源ともいえる。 
 円錐状に石を積みあげて建てられる住宅トゥルッリは、ギリシア語で
 「ドーム」を意味する「THOLOS」に由来するといわれている。しかし一方で、ラテン語で「小さい塔」を意味する「TRULLA」からきているという説もある。どうやら正確なところは分からないというのが現状のようだ。
 トゥルッリの分布は、プーリア州、しかもイトリア渓谷の周辺に集中してみられる。この地域は、地質に石灰岩層を持つ。石灰岩のみによって建てられるトゥルッリがこの地域で建てられるのも当然のことだろう。何しろ建築現場の足下から建築材が採れるのだ。
 モルタルを使わないで、積み上げられるトゥルッリについて、地元の住民から、面白い話を聞いた。 
 15世紀頃、この地域では住宅に対して税金が課せられていた。そのため、税査察官が見廻りにくると建物を壊して、住宅にかかる税金から逃れていたという。トゥルッリがモルタルで固められていないのは、いざという時に崩しやすいためだと……
本当のところは分からないが、それなりに説得力のあるいい伝えだ。
 トゥルッリが密集して建つ街、アルベロベッロは、いまや観光地としても有名だ。おとぎ話の中の小人が住むようなとんがり屋根の建物が立ち並ぶ様は、ユーモラスだが圧倒される。この可愛らしい集落は1996年、ユネスコの世界遺産に認定され、トゥルッリを世界的に認知させることとなった。
 地面に石があったからそれで家をつくったという、合理的な考えから生まれたトゥルッリが、景観的モニュメントとして支持され世界遺産に指定されたのは非常に興味深い。
 はじめに石ころありき。そこに石があってはじめて壁が立てられ、見張り台がつくられ、そして独自の建築文化が生まれたのだ。

エコ生活を楽しむ人びと

ヴィラ・カステーリ地区/シャイアーニ・ピッコラ社  ロレンツォ・バレッタさん
エコ生活?… 始めるまでが大変だけど
覚悟が決まれば、後は簡単なことだよ

 プーリア州南端に近い小さな田舎町ヴィラ・カステーリ郊外に、ロレンツォさんが経営する90%がオリーブという40ヘクタールの有機栽培農園はある。その他、ブドウやイチジクなどたくさんの果物を栽培しているが、すべて有機栽培である。
 一年中穏やかな気候であるが、雨が少なく現在では井戸は地下400mまで掘り進められ、水道水も隣の州の水源を利用しているそうだ。
 ロレンツォさんの農園の門は高く、厳重に閉ざされていた。日本の農村とは全く趣が異なる。また経営方法自体も異なる。ロレンツォさんは経営者ではあるが、決して自ら農作業を行わない。彼は農夫や、敷地内にある様々な施設の修繕を行なうため職人を数多く雇用しているのだ。
 私たちを迎え入れてくれたロレンツォさんは小柄ではあるがダスティン・ホフマン似の笑顔が似合う、見るからに頼もしい印象の人物だ。
 彼は多忙である。この数時間後にはモンブランで開催される食品コンヴェンションに彼の農園で生産したオリーブを出品するため、空港へと向かうところだという。
 「その後ニューヨークにも出掛ける。東京にも行きたいが、東京の出品料は高すぎて出品はまず不可能さ」
 日本人には寂しい話だが、この物価が日本の農業を守っているのだ。
 「うちのオリーブオイルはD.o.pと呼ばれる現地統制生産品の品質認定をもらっているんだ。このD.o.pはどんな農薬を使っているか、どうやって作っているかなどの厳しい審査に合格しないともらえないのさ」
 またエコについては胸の空くような気持ちのいい答えが返ってきた。
 「環境保全や省エネルギーなどを解決する一番いい方法は元々の状態に戻すことさ。昔のように生活するのは簡単なようで大変なことだけど、『やる』と自分の中で決めたから、それをやっているだけだね。自分の中でやろうという気持ちが湧いてきたのは7年前ぐらいかな。それまでは化学物質の農薬などもたくさん使っていた。農薬を使うと収穫は増えるが、その分費用も掛かるし、植物に悪影響が出ることもあるんだ。それならばいっそのこと昔ながらの方法に戻ればいいんじゃないかと思ったのがきっかけだね。大量生産を目的に大量の農薬を散布する、薄利多売方式ではなく、有機栽培でも収益は上げられると分かったんだ。今では世界中が私のオリーブを欲しがってくれるからね」
 彼の決意を聞いて鳥肌が立つほど驚いた。以前本連載で取材した、千葉県で自給自足的エコ生活を送る小笠原さんと全く同じことをいっているからだ。エコ生活とはどこの国でも、決意するまでが困難で、一度決意すれば、その後は自然なことらしい。
 また彼は有機栽培農園経営と同時に、4年前からアグリツーリズモを営んでいる。アグリツーリズモとは、日本の民宿や貸別荘、体験農業などに相当する農業資源を活用した観光業のことだ。彼は人と会ったり話したりするのが好きで、何かをはじめるという動機を持つのが楽しくて、いつか絶対にアグリツーリズモを実現しようと思い続けていたという。
 「設備投資に予想以上のお金が掛かった。こんなに掛かると分かっていたら、もう少し慎重に考えたかもね」
といいながらも彼は現在、プールとレストランを建築中で、精力的にアグリツーリズモを拡張している。
 敷地内には全部で4棟のトゥルッリがある。1800年代に建てられたもので、4つのうち3つはアグリツーリズモとして使用している。残りの一つはオリジナルのまま残してある。元々トゥルッリはセメントは使わずに石を積み上げていくだけの素朴な建物だった。しかし修復するにあたって補強のために目地にセメントを使用すると強度は強くなったが、風通しが悪くなったという。
 「トゥルッリは長所だらけだよ。ここの気候にとても適しているといえる。欠点は修復するのに費用が掛かることと、新築すれば今ではかなりのお金が掛かる点。それと修復のできる職人が少ない点だね。しかも文化遺産に指定されたことで勝手に修復出来なくなったことも面倒だよね」
 彼は一流の経営者らしく商品価値を高める話はしても、決して値を下げるようなことはいわない。しかし実際、彼のトゥルッリに滞在した6月の3日間、外気温に影響されることなく、室温は常に25度、湿度も55%に保たれていたのには驚いた。高精度の温度湿度計で測定しているから間違いはない筈だ。トゥルッリは彼のいうとおり、ここで人びとが快適に過ごす知恵の結晶なのである。

グロッターリエ地区/メランゴロ社 ジャンルッカ&ダニエラさん
南イタリアは環境教育がまだ未発達 
だから、私たちで普及するつもりよ

 南イタリアにおけるエコ生活の現状を、地元のエコ事情に精通した専門家からも話を聞きたいと思い、私たちはプーリア州でエコツーリズムサービスを行うグループ、メランゴロと会うことにした。
 メランゴロでは、ツーリストサービスと、環境教育のコーディネートを主とした教育活動を行っている。ちなみにメランゴロというグループ名は、シトラスに似た植物の名前に由来する。元々プーリア州にのみ自生していたこの植物は、今では見かけることもなく、幻の植物とされている。地元に愛着のある彼らは、プーリア州のシンボルとして、この植物の名前をグループ名にしたそうだ。
 今回話を聞いたのは、メランゴロでガイドから観光企画まで行っているジャンルッカさんとダニエラさん。坊主頭にサングラスをかけた長身のジャンルッカさんは、一見強面だが、話してみるとエコロジーについて真剣に考えている好青年だ。一方ダニエラさんは、話し出したら止まらない生粋の南イタリア女性。
 彼らに案内され、まずはトゥルッリを見ることに。とんがり屋根が印象的な石積みの家は、この地方独特の建物だ。エコに造詣の深いジャンルッカさんに、トゥルッリをエコロジカルな観点から語ってもらった。
 「トゥルッリは、自然を上手く利用した本当にエコロジーな住宅なんだ。まず建材を遠くから調達する必要がない。地面を掘れば、トゥルッリを建てるのに必要な石灰岩が、すぐ手に入るからね。石材を掘り出してできた穴は、貯水槽として利用する。雨が降ると、雨水が雨どいを通って貯水槽に流れ込み、室内の井戸から水が汲めるようになっているんだ。熱伝導性の低い石材でつくられた建物は、夏は直射日光を反射し、冬は暖炉の熱を外へ逃がさない。トゥルッリは、建築方法から構造まで全くもって無駄がないといえるね」
 一見、単純で素朴にみえるトゥルッリだが、実は随所に工夫が凝らされたエコ住宅のようだ。
 次に彼らは、この地方の建物に多く使われる石材トゥフォ(凝灰岩)の石切場に案内してくれた。石を削り取っていくうちに、切り立ってしまった地面は、オーストラリアのエアーズロックを思い起こさせる。灰白色の石切場の風景は、街の色調と見事に一致する。この石を使って街ができているというのも頷ける。
 トゥフォにしろトゥルッリで使う石灰岩にしろ、プーリア地方では、地元で産出される石を使って家をつくる。外国産の木材に多くを頼る最近の日本の事情とはかなり異なる。
 地元産の石材で家を建て、機能的なエコ住宅トゥルッリを擁するプーリア州だが、ダニエラさんによると人びとのエコ意識はまだ低いそうだ。
 「生ゴミを地面に埋めたり雨水を利用するなど、昔ながらのエコは行われているけど、ゴミの分別やペットボトルの回収などは、残念ながら遅れているわ。南イタリアは環境教育がまだまだ未発達なのよ。メランゴロでは、子供たちに環境教育を行うサービスも扱っているので、私たちの力でエコ意識を高めていけたらと思っているわ」
 熱心に語るジャンルッカさんとダニエラさんを見ていると、南イタリアエコ事情も、見通しが明るそうだ。

エコ生活を楽しむ人びと

オストゥーニ地区/エディルアルティジャーナ社 サントロ・アントニオ・ヴィトさん
セカイイサンだか何だか知らないけど
トゥルッリが世界的に認められたのは嬉しいことだね

 現在、トゥルッリを建築できる職人は、数えるほどしかいない。トゥルッリの減少に伴い職人も少なくなってきているのだ。日焼けした顔と、いかにも大工らしいごつい手を持つサントロさんは、この道20年のベテラントゥルッリ職人だ。
 トゥルッリの修復から建築まで行うエディルアルティジャーナ社の棟梁であるサントロさんは、元々農業に就いていたが、生計を立てていくのが難しくなり、19才の時に大工に転職した。それから20年、建てたトゥルッリの数は100軒に及ぶ。
 人生の半分をトゥルッリと共に過ごしてきた彼に、トゥルッリ建築の難しさを聞いてみた。
 「何が難しいって、積み上げるブロックの寸法を合わせることだな。これが上手くいかないと、トゥルッリは建てられないといってもいい」
 なるほど、それなら設計図もかなり綿密なのだろう。
 「は?設計図?そんなもんいらねえな。何故なら俺の頭の中に、完璧な設計ヴィジョンがあるからね。図面が読めない奴も多いから、設計図なんか描いたら、余計混乱するよ」
 職人気質たっぷりの答えをしてくれたサントロさんだが、彼自身も実際に現場で働きながら、施工のコツを身体で覚えていったそうだ。
 トゥルッリを建て続けるサントロさん自身は、意外にも普通の家に住んでいるらしい。
 「俺はトゥルッリに住んでいないし、住みたいとも思わないよ。確かにトゥルッリは好きだし、住み心地もいいと思う。だけど、毎日トゥルッリと顔を合わせているんだ。せめて家にいる時ぐらいは、普通の家でくつろがせてくれよ」
 コックが自宅に帰ると全く料理をつくらないという話はよく聞くが、例えればそんな気分なのだろう。
 トゥルッリの街アルベロベッロが世界遺産に指定され、この円錐状の建物は世界的に知られるようになった。トゥルッリをつくり続けてきたサントロさんにとって、世界遺産とはどのような意味を持つのか。
 「セカイイサン?何だそれ。トゥルッリが文化財として、保存されることになった?よく分からんけど、トゥルッリが素晴らしいものだと分かってもらえたのは嬉しいことだね」
 そういってサントロさんは、煙草に火を点けつつ微笑んだ。ユネスコの「世界遺産」は知らなくても、これまでやってきた仕事が認められたということが嬉しいのだろう。そのはにかんだ笑顔は、自分の仕事にプライドを持つ職人の笑顔だった。
 そろそろ作業を切り上げるというので時計を見ると、まだ午後の2時を回ったばかりだ。日本ではこれから本腰を入れて仕事をしようという人たちも多いだろう。本当にこれで仕事は終わりなのか。
 「ああ、昼間は暑くて仕事にならないから、朝早くはじめてこの時間になると終わりにするんだよ。今日だって朝の5時から働いていたんだ。もう休んでもいい時間だろう」
 南イタリアはシエスタがあるし、ゆとりの時間が多そうで羨ましいなどと安易に考えてはいけない。明け方から汗水流して働く彼らの姿を想像してほしい。南イタリア人の別の一面が見えてくるはずである。

エコ生活を楽しむ人びと

ヴィラ・カステーリ地区 アンナ・バレッタさん
便利さと引き替えに失ったものもあるわね
昔は人の心が豊かだったわ

 南イタリアの主な輸出品であるオリーブを生産するオリーブ畑の地主、アンナ・バレッタさんは、幼い頃から、この土地で暮らしている。
 元々アンナさんの祖父は裕福な商人だったが、商売で得た利益をもとに、広大な農地を購入し大地主となった。農園運営は代理人に任せ、家族は都市で暮らしていたが、農業が好きだったアンナさんの父親が引き継ぐと、自ら農園を運営するため、この地に越してきた。自然が好きだったアンナさんは、オリーブに囲まれた生活にすぐ馴染めたそうだ。
 「私の母親は、田舎暮らしが嫌だったようだけど、私は自然のそばで生活する農園での暮らしが、とても楽しかったわ」
 現在は近所の街に移り住んでいるアンナさんだが、今でもこの土地に愛着を持っていて、毎日自宅と農園を行き来している。朝6時に農園に着くや、日課である動物の世話や植物の手入れなどを行う。ひと通り作業が終わるのが午後1時頃で、それから昼食をとる。
 「仕事が終わり、ゆったりした気持ちで食事をとるの。パスタは自家製、肉も野菜も全部自家製。食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べる、こういう食事スタイルを私はとても気に入っているわ」
 最近日本でもスローフードという言葉がもてはやされているが、こと食習慣の豊かさは、まだまだ南イタリアには及ばないだろう。
 贅沢な食事の時間が終わると、アンナさんは農園内でくつろぎのひと時を過ごす。時には農場にあるトゥルッリで昼寝をしたりするそうだ。
 「夏の暑い日にトゥルッリでお昼寝するのはとても気持ちいいわ。外が暑い時でも室内はひんやりとしているのよ。うちはアグリツーリズモも経営しているので、普段はトゥルッリを旅行者のための部屋として提供しているけれど、宿泊者がいない時は、私が泊まったりもするのよ」
 昔と比べて、今のトゥルッリの住み心地はどうなのだろうか。
 「最近のトゥルッリは、とても暮らしやすくなったわね。スイッチを押せばライトがつくし、蛇口をひねれば水が出てくる。でもね、生活が便利になるにつれて、なぜか人の心は貧しくなっていくの。昔は水を汲みに井戸まで行ったりしたけれど、そこには、人の心を豊かにする何かがあったのよ。水汲みが親の手伝いだったり、井戸でみんなとおしゃべりをしたり…昔に還った方がいいものもあると思うわ」
 昔に還る。エコ生活のキーワードとなるこの言葉を、アンナさんは自らの人生経験から感じているようだ。
 取材後、彼女は私たちが宿泊するトゥルッリまで案内してくれた。
 「ここには、色々な国から旅行者が泊まりに来るの。一番多いのがドイツ人かしら。彼らやスイス人は、連泊していても、部屋をきれいにして出ていくわ。だけどフランス人は、タバコの吸い殻を地面に散らかしていくから、掃除するのがとっても大変なのよ」
 日本人が泊まるのは初めてということで、私たちは部屋をくまなくきれいに掃除してからチェックアウトしたのだった。

アルベロベッロ・アイア・ピッコラ地区 ジョバンナ・デ・ルーカさん
観光客がたくさん来るのは
私たちの街が重要な所ということなのね

 アルベロベッロで暮らすジョバンナ・デ・ルーカさんは御歳80才、4人の子供たちも独立し、今や悠々自適の生活を送っている。玄関の前に椅子を置き、行き交う人びとを見るのが何よりの楽しみらしい。アルベロベッロが世界遺産に認定されてから、道を歩く人の数も増えたようだ。
 「生まれた時からこの街に住んでいるのでよく分からないけど、観光客がこんなにたくさんやってくるということは、どうやら私たちの街は重要な場所のようね」
 とんがり屋根が密集する魅力的な街並みも、ここで生活する人にとっては見慣れた風景なのだ。
 観光地となったアルベロベッロでの日常生活を聞いていると、突然一人の少年が部屋に入ってきた。
 「おばあちゃん、お昼の時間だよ。みんな待っているから早くおいでよ」
 毎週日曜日は、近所に住む子供の家に集まって、みんなで食事をするそうだ。なかなか来ないジョバンナさんにしびれを切らしたお孫さんが迎えに来たらしい。
 思いがけずアルベロベッロの幸せな日常風景を垣間見ることができた。

アルベロベッロ地区  ミニ観光ガイド
可愛い、美味しい、気持ちいい魅力いっぱい、出会いいっぱいの
アルベロベッロは世界が憧れる街

 世界広しといえども、アルベロベッロほど特異な街並みをつくりだしている集落は稀である。ユニークで魅力的なアルベロベッロは千戸以上もの平屋建てのトゥルッリが、ある場所では隣家と壁を共有しながら密集している。この街並みの写真を一目見た者は、その魅力に取り憑かれ、何度もこの街を訪ねてしまうようだ。
 アルベロベッロとは、ラテン語を語源とする「美しい木」という意味のイタリア語である。15世紀後半にこの地を統治した領主によって周辺に暮らす農民を一箇所に集住させたのがこの街の起源とされている。
 アルベロベッロで最もラグジュアリーなホテルの一つに、5つ星のオテル・デイ・トゥルッリがある。トゥルッリ屋根で有名な聖堂から歩いて数分の場所にあるこのホテルは、観光客で賑わう中心街とは異なり、背の高い生け垣で囲われた、とても静かな環境にある。
 宿泊者は敷地内に点在するトゥルッリに泊まる。間取りは部屋によって違うが、できればアルコーブにベッドを入れた伝統民家スタイルの部屋に泊まることをお勧めしたい。 
 ホテルのシェフ、フランコさんのつくるパスタ・オレキエッテはパスタ版マルゲリータとでもいうべきシンプルさで、パスタにバジルとトマト、それをオリーブオイルで和えただけのあっさりとした味付けだが、素材の持つエネルギーを体感できるパンチの効いた逸品である。ちなみに、耳たぶという意味のパスタ・オレキエッテはプーリア地方の名物ではあるが、店ごとに味は様々である。
 またオテル・デイ・トゥルッリのスタッフをつかまえて、アルベロベッロ周辺のトゥルッリや小都市を巡るショート・ツアーについてお願いしてみてはいかがだろうか。
 例えば、街全体がほぼ真円の形をしたロコロトンドと、バロックの街マルティーナ・フランカを散策する。トゥルッリづくりの農家や家畜小屋を訪ねた後、ワインを製造するカンティーナを見学して赤白のミニボトルをお土産にもらう。田園地帯にあるトゥルッリでワインからデザートまでいただき、テラスでシエスタを楽しむ。そんな楽しいツアーをアレンジしてくれる愉快な人たちを紹介してくれることもある。

エコ生活を楽しむ人びとエコ生活を楽しむ人びと

アルベロベッロ・モンティ地区/トゥルリデア社   
ディーノ・バルナーバさん
子どもたちには文化と自然を大切にして欲しい
そして、異文化同士の交流を通して戦争のない平和な世界を築いて欲しい


南イタリアから

 観光客で賑わうアルベロベッロの中心街モンティ地区にディーノ・バルナーバさんのオフィスはある。
 ヒューマンスケールで設計された手づくりトゥルッリの事務所内は、身体にジャストフィットした服を纏ったときに感じる、とても自然で居心地の良い空間である。
 ディーノさんは現在43歳、妻と子供3人の5人家族で暮らしている。彼の家は地元アルベロベッロで7代続いた旧家である。しかし彼は自らを仏教徒であるという。
 彼は25軒のトゥルッリを所有し、ホテルや貸し別荘、レストラン経営を行なっている。そんなに多くのトゥルッリを所有しているのも、彼が買い取らなければよい状態で保全できないからだと話す。4人兄弟の彼の兄は地元では大規模なゼネコンを経営しているが、兄は新築専門なので二人が共に仕事をすることは絶対に有り得ないとまでいい切る。
 私たちが日本から住宅雑誌の取材でこの地を訪れたことを告げると、彼は子供のように目を輝かし、興奮して、鍵の掛かった引き出しを開けながら語りはじめた。
 「私の宝物を見せてあげよう、アルベロベッロを世界的に有名にしたきっかけを知ってるかい。ほら、これだよ。1920年に出版されたナショナル・ジオグラフィックさ。この雑誌に紹介されると、たちまち世界中から、たくさんの研究者や観光客が押し寄せて来るようになったんだ。これがおよそ80年前当時の写真だよ」

「がんばれ日本」

 一通り話し終えると、彼は私たちをオフィスがある斜面とは対岸のアイア・ピッコラ地区へと案内した。
 そこで彼は建築年代ごとに異なる石積みの方法や、ジュゼッペ・マルテロッタ広場の地下には雨を貯水する巨大なタンクが設置されていることなど、私たちが関心を示しそうな事柄を物知り顔で教授してくれた。
 途中、私たちは地元の文化助役ヴィットリオ・インディヴェリさんと遭遇し、挨拶と立ち話を交わした。
 イタリアの行政には日本でいう助役とは別に文化助役なる文化行政に関する自治体の代表者が存在する。このシステムからも、いかにイタリアが文化を重視しているかを窺い知ることができる。教育と文化の位置づけが分かりにくい日本の行政システムとは根本的に違うようだ。しかもヴィットリオさんは、未だ40代半ばだが、イタリアでは40代の文化助役も珍しくないというから驚きではないか。若者世代との架け橋となるべき中堅世代が古い伝統や自然環境を守る役割を担う。これこそ理想的な社会構造ではないだろうか。
 一通り街の見学を終え、私たちは、ディーノさんの経営参加するレストランで食事をいただいた。
 地元のワインと料理の美味しさもさることながら、彼の話の面白さに時を忘れて引き込まれていった。
 「私はこの秋、日本の白川郷へ行くつもりだ。そこで白川村の村長さんとお会いして、お互いユニークな屋根を持ち、同じ世界遺産に登録された街として姉妹都市提携を結び、将来は子供たち同士が交流できるようにお願いするつもりなんだ。互いに文化と自然の大切さを学び、交流すれば、現在起きている異なる文化が衝突しているような戦争の発生も防げると信じているんだ」
 白川郷との友好関係について熱く語る彼の話を聞いていても、よもや本当に白川郷を訪ねるとは思ってもいなかった。
 しかし、昨年10月に彼はそれを実現した。
 彼はアルベロベッロに滞在する日本人画家の助けを借りながら、目的地白川郷へと向かった。およそアポイントといえる様な準備など全くなく、突然にも彼は村役場訪問を決行したのである。
 無謀ともいえるこの旅について彼は「何をしたいかが一番重要なんだ。距離や時間など何の障害にもならない」と正しいと信じることを実現する大切さを力説した。
 また彼は私たち日本人にとっては耳の痛いアドバイスをくれた。
 「お互い学ぶべきことはたくさんあるけど、日本がイタリアから学ぶことの方が遥かに多いようだね。マニュアル通りの行動や忙しいだけで心の通わない人びと、新旧の建築物が混在して美しくない都会の街並みなど日本には問題が山済みだな」
 古くて新しい国イタリアの現代版マルコ・ポーロとでもいうべき彼が私たちに伝えようとしたものは、過去と未来の間を旅する羅針盤、勇気、そして美醜を見抜く眼力である。
 日本において「伝統を知らない子供たち」世代が増え続ける今、「日本の文化を保全する」ことは夢物語なのかも知れない。
 しかし、ディーノ氏のような文化と自然の保全にかけての目利きともいうべき人物からラブコールをもらっているうちに日本側としては、是非、保全に関するコラボレーションを進めるべきではなかろうか。私たちジャーナリストとしても虚心坦懐に彼らの教えを請いたいと願う。
 「がんばりましょう」彼はそういい残して豊かさの王国へと帰国した。
 両都市の姉妹都市構想については、機会があれば改めて報告したい。(エコ生活を楽しむ人びと月刊住宅雑誌NewHOUSE 2002年3月号「イタリア・トゥルッリ編」)